産業

茶摘

茶は茶樹の新芽を摘んでつくる。新芽は年に三~四回生長し、最初の一番茶を摘むと再び芽を出し、二番茶・三番茶と摘みとる。ただし猿島地方では、野良仕事も忙しくなるので二番茶までできりあげた。古くから親しんできた文部省唱歌の「茶摘みの歌」の一節にあるように、暖かい静岡県あたりでは五月初旬の八十八夜あたりから摘み取るようであるが、当町ではややおくれて新暦の五月中旬からの摘み始めとなる。

茶摘み1山地区の忍田光氏所蔵文書の「製茶貫目改帳」によると、明治二十四年は九十五夜、明治四十年は九十九夜に摘み始めている。茶は一日でも早く摘むと青黒い良質の煎茶ができ、価格も高い。よそよりも早く芽が吹く条件としては、屋敷まわり、寒さの当たらない窪地、沼や川など近くに水気がある所がよいとされていた。

茶摘みは一般に女たちの仕事であった。限られた短い期間内に摘まなければならず、大きな茶園を持っている家では、茶摘みのために筑波山近くの北条や結城郡あたりから人を雇った。雇われてくる女たちは毎年同じ顔ぶれで「今年も"赤もち"を食べにきたよ」というのが決まりの挨拶になっていた家もあった。赤もちは猿島地方の郷土食で、一般に茶どきの代表的な食べ物となっていた。

茶摘み2茶摘みは朝早くから行った。円座を敷いて座り、かたわらに摘んだ茶の葉を入れる笊を置き、手早く摘んで量を競い合った。茶摘みの要領は「一心二葉」といって新芽の一番上の心葉とその下に続く二枚の葉をあわせて摘む。それを別の言葉で「三葉がけ」とも呼んだ。上手な人で一日に約二貫目摘み、摘んだ量は午前と午後に目方に掛け、貫目帳に記録した。朝早く摘んだ葉や雨の日に摘んだ生葉は、露芽といって量目から二割ぐらい差し引かれるのが定めとなっていた。生葉に水分がついていると仕上がりは黒味を帯びた暗緑色になって艶も香気もなく、「露芽の茶」などといわれ嫌われた。

茶摘みも朝のうちは元気がよく張り込んで精を出すが、午後になると気もゆるみ「はやり唄」や「盆踊り唄」などを唄って疲れをまぎらす情景も見られた。茶摘みの女たちを目当てに、頭に盤台をのせ旗をたて太鼓をたたきながら唄をうたう飴屋なども訪れた。戦後は、アイスキャンデー屋などもまわってきた。男たちは、手もみ茶づくりを早々に切り上げて、茶畑に来て茶摘みの娘たちをひやかしたりした。このような男女のふれあいの様子をあらわした唄に「お茶の茶の茶の茶の木の下でお茶を摘まずに恋をする」などがある。

「猿島町史」民俗編 第2章 第1節 田と畑 四 茶業

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