美術品展「坂東郷土館ミューズコレクション」を開催しました

美術品展
「坂東郷土館ミューズコレクション
      ~楽しみ愛でる優品たち~」

ミューズコレクション展
 坂東郷土館ミューズが所蔵している茨城ゆかりの作家を中心に、移りゆく季節の情景を描いた作品や、コロナ禍収束を祈念して幸せを呼ぶ吉祥、仏にちなんだ作品など、茨城ゆかりの作家の美術品を精選して展示しました。

【会 期】 令和3年4月17日(土)~7月4日(日)※会期延長
  
《変更前》令和3年4月17日(土)~6月20日(日)
【会 場】 坂東郷土館ミューズ(坂東市立資料館)
【開館時間】平日 午前10時~午後6時30分/土日祝 午前10時~午後5時
【休館日】 月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日
【入場料】 無料

ミューズコレクション展会場01ミューズコレクション展会場05

【重要】新型コロナウイルス感染症拡大防止にご協力ください
 新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、入館・施設利用にあたっては、感染症拡大防止対策として、マスク着用、手指消毒、ソーシャルディスタンスの維持、長時間の滞在を避ける、来館者の氏名・連絡先の記入をお願いするとともに、咳や発熱等の症状がみられる方、体調のすぐれない方は入館をご遠慮ください。利用者の皆様には、大変ご不便をおかけいたしますが、 ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。
【アクセス】
   坂東ICより車で約10分で行くことができます。この機会に展覧会へお越しください。


[美術品展チラシ]
ミューズコレクション展R03コレクション展チラシ裏
チラシのPDFデータはこちらをクリック → チラシPDF


【様々な作品を紹介しています】
 坂東郷土館ミューズのコレクションから郷土ゆかりの作家の美術作品53点を精選して展示しています。
 展示している作品、作家については展示目録(PDF)をご覧ください。→ 展示目録PDF

横山大観「暁色」
横山大観「暁色」
 横山大観は、明治元年(1868)、現在の水戸市に生まれる。明治22年(1889)、東京美術学校第1期生として入学、岡倉天心や橋本雅邦の薫陶を受ける。明治29年(1896)、東京美術学校助教授に就任するも、明治31年(1898)に岡倉天心が同校校長を辞職すると、これに追随し辞任、日本美術院創設に参加した。新たな時代の日本画を模索した大観は、線描を抑えた独特の画法「朦朧体」を確立した。大正3年(1914)に美術院を再興すると、以後院展を中心に数々の名作を発表。昭和12年(1937)には第1回文化勲章を受章し、明治・大正・昭和と日本画壇をリードし続けた。
 暁色は、絹に裏箔墨という大正期の再興院展で多用された技法を光を表すために効果的に使った作品である。屋根の傾きや高木が朝日を浴びて姿を現すなか、目を凝らすと左側の舟では漁師が仕事の準備をしている。琳派研究の成果として、屋根の白と木々の黒の対比の妙を描きだしながら、大観の代名詞となる片ぼかしも有効に使っている。

下村観山「和合神」
下村観山「和合神」
 
下村観山は、明治6年(1873)、和歌山市の生まれ。明治14年(1881)、上京し狩野芳崖、橋本雅邦に師事。明治27年(1894)、東京美術学校卒業と同時に同校助教授となる。 明治31年の岡倉天心が辞した美校騒動では、日本美術院の創設に加わり美校を去る。明治34年、美校に復帰。36年、渡英。明治39年、日本美術院の茨城県五浦移転に際し、天心に従い一家で移住。大正元年(1912)、五浦の地を離れ、上京。大正3年、大観、武山らとともに、日本美術院を再興し、亡くなる前年の第16回展まで出品を続けた。
 
和合神は、中国の民間信仰による男女の和合を司る幸福の神で、寒山・拾得の像に象(かたど)る。二仙とも緑衣を身に着け、笑顔を浮かべる。意のままに様々な願いを叶えることができる如意と宝珠を持った姿で描かれている。

鶴岡義雄「双扇舞」
鶴岡義雄「双扇舞」
 
鶴岡義雄は、大正6年(1917)、茨城県土浦町(現・土浦市)に生まれる。旧制土浦中学校から、日本美術学校に進む。昭和14年(1939)、第26回二科展に「台湾蛮女」が初入選。昭和22年(1947)、第32回二科展で「化粧」が二科賞を受賞。昭和25年、二科会会員に推され、以後二科展で活躍。若い女性を情緒豊かな洗練された表現で描く「マドモアゼル・シリーズ」や、京の舞妓を通して伝統美と現代性を兼ね備えた理想の女性像を表現した「舞妓シリーズ」は代表作として知られている。

栗原信「潮来」
栗原信「潮来」
 栗原信は、明治27年(1894)、現在の茨城町に生まれる。大正元年(1912)に茨城県師範学校を卒業後、小学校で教鞭をとるかたわら、油絵を制作。二科展、太平洋画会展に出品し、昭和3年(1928)渡仏。戦後は、二紀会を創立し、新潟大学教授、日本芸術家連盟理事を務めた。
 
潮来は、茨城県南東部に位置し、霞ヶ浦や北浦、常陸利根川などに面し、江戸時代には利根川水運の港町として栄え、現在は水郷筑波国定公園の一部となっている。潮来を含めた利根川下流域は、周囲を水に囲まれた水郷地帯であったことから、この地域一体には水路が縦横に張りめぐらされ、「サッパ舟」と呼ばれる櫓を使う手漕ぎ舟が日常の交通・輸送手段として昭和30年代前半ごろまで用いられていた。

小堀進「国会議事堂風景」
小堀進「国会議事堂風景」
 小堀進は、明治37年(1904)、茨城県行方郡潮来町(現・潮来市)に生まれる。大正11年(1922)、東京葵橋洋画研究所に入る。昭和9年(1934)日本水彩画会会員、翌年白日会会員となる。昭和15年(1940)、荒谷直之介・春日部たすくなどの同志と水彩画の革新を目指して水彩連盟を創立する。昭和17年(1942)、文展初入選。昭和36年(1961)、日展水彩作家協会顧問となる。昭和44年(1969)日展理事となり、翌年芸術院賞を受賞する。昭和49年(1974)水彩作家として初めて日本芸術院会員となる。
 皇居の桜田門橋からお堀越しに眺めた国会議事堂を描いた作品。左右対称形の議事堂は、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院(旧貴族院)が配置されている。議事堂の中央塔は、高さ65.45mで、昭和11年(1936)の竣工当時、日本の建造物で最も高かった。現在、高層ビルが立ち並び、国会議事堂も周囲の建物を背にするようになった。この作品は、まだ空が広かった頃の東京の姿が描かれている。

【会場の様子】

会場の様子(5月)
会場の様子8
ミューズコレクション展会場06
会場の様子2(5月)
美術作品を多数展示し、見学者の皆さんには郷土作家たちの華麗なる共演を楽しんでいただきました。 

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