観光・歴史

内野山の松崎天神社

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内野山の松崎天神社

内野山の舌状台地が根元から開削されて、西仁連川が貫流したのは昭和初期のことです。この開削工事によって、西仁連川の東側に取り残された台地上に鎮座するのが松崎天神社です。
土手道から坂を登ると、境内入り口に木造両部鳥居があり、参道を進むと社殿の前に出ます。境内の木間越しに飯沼耕地を眺めると、三千町歩の美田が一望できる景勝地に驚かされます。
境内にある「村社天満神社碑」によると、平将門没後の天慶8年(945)9月、菅原道真公の子息、景行・兼茂・茂景がこの地に立ち寄り、三方を水に囲まれた舌状台地が湖上の島を思わせ、老松と月影を映すという風光明媚な景色を賞しました。
この台地に、菅原氏の遠祖にあたる「天穂日命」を祀り、併せて道真公を祀って天神社としたことが誌されています。
飯沼耕地は、「将門記」に広河の江という名で記され、大蛇が棲む秘境とあり、また周辺には7天神社が鎮座していたとされています。
その天神社由来については、『神社縁起書』に詳しく記述され、菅原景行の治績に関係あるとされました。当社を腰掛け天神と称し、景行が将門の開拓思想を受け継ぎ、飯沼の開発構想を練ったことによるといわれています。
常陸国の介であっ景行は、介の任期が終えた後、この地にとどまり、対岸の大生郷に学問所を開きました。将門の弟将平も通って修学したとも伝えられています。


松崎天神社(内野山919)

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