深井地蔵尊と将門妻子の受難

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深井地蔵尊と将門妻子受難

結城・坂東線と猿島・常総線が交差する沓掛信号を左折して猿島庁舎方面に向かい、沓掛台地から西仁連川沿いに出るところに大きなカーブがあります。そのカーブの途中の市道を右に入り西仁連川に架かる地蔵橋を渡った左側に深井地蔵尊が祀られています。
この堂は、外見だけを見るとありふれた堂に見えますが、平将門の妻子が惨殺された悲劇の場所でもあると考えられます。
良兼軍との小飼の渡の合戦に敗れた将門は、十日ほど後、堀越の渡に布陣しますが、急に脚気を患い、軍の意気が上がらず退却します。妻子を船に乗せて広河江(飯沼)の芦の間に隠し、自分は山を背にした入り江に隠れて見守ることになります。
良兼軍は、将門と妻子たちの所在を追い求めるが見つけられず、戦勝した良兼は、帰還の途につきました。妻子がその様子を見て船を岸に寄せようとした時、良兼軍の残り兵に発見され、承平7年8月19日、芦津江のほとりで殺されました。
妻子受難の場所には、諸説があります。しかし「将門記」には、『幸島郡芦津ノ江ノ辺』とあります。芦津は「和名類聚抄」にも石井と共に記された郷名であるので、現在の坂東市逆井・山、沓掛に至る一帯を指すものと思われ、この間の大きな入谷津を総称したと考えられます。
深井の地蔵尊の創建は古く、将門の子どもの最後を哀れんだ土地の人々が祀ったのが、この地蔵尊ではないだろうかといわれています。


深井地蔵尊(沓掛2205)

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