さしま茶

猿島町の茶の栽培は古くから行われ、「猿島茶」として関東一円に名が知られるほどその存在が認められていた。栽培が長く伝統産業として継続されていたのは、当地方の風土に合った植栽樹であったからである。猿島地方の台地はゆるやかな起伏が連なって広がり、地表は古い火山灰が堆積した関東ローム層でおおわれている。この堆積土は、雨が降ると泥んこのぬかるみとなり、乾燥するとと風で舞い上がって空をおおいつくす。こうした軽い耕地の土壌の風蝕を防ぐために畑のまわりに防風垣として茶の木を植えたのが、茶の栽培の始めといわれる。ローム層は酸性土であるが、茶樹は耐酸性の強い植物であり、当地方に適した植栽樹であった。また、火山灰土は他の土壌と比べ、茶の芽が伸びやすいという性質ももっている。

このように茶は土地に合った植物であるとともに、農家にとって魅力ある現金収入が得られる換金作物でもあった。農家では秋の収穫で得た収入は正月を越すと手元にのこるのはわずかとなり、大・小麦の収穫まで頼みとするのは茶による収益だけであった。それは、茶による収入を「茶銭」といわれていたのをみても、いかに家計を助ける貴重な現金収入であったかがわかるのである。 茶銭といわれた茶の収入には、女や子供たちが茶の葉を摘んでその日のうちに現金にするものと、屋敷まわりや内畑のまわりの畦畔茶樹、茶園の茶を摘んで手もみの煎茶にし、それを現金に換えるものとがあった。茶銭で得た収入は春の農作物の肥料代となり、子供たちにとっては年に一度の小遣い稼ぎの機会ともなっていた。子供たちは新しい茶樹の摘みよいところや、大人がハサミで刈り取った残りの「ふところっ葉」といわれるものなどを、桟俵や南京袋などを下に敷いて争うように摘み、少量でも各自で茶工場へ持って行って現金に換えた。猿島町の茶業は、煙草と並んで特産品として地域の経済を支えてきたのであった。

「猿島町史」民俗編 第2章 第1節 田と畑 四 茶業

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