延命寺の薬師如来
国王神社の交差点を渡り、島広山台地を東に向かうと、四周を田んぼに囲まれた森が現われます。ここが将門ゆかりの寺として知られた延命寺です。
延命寺は医王山金剛院と称し、真言宗豊山派に属している古刹で、別称として「島の薬師」と呼び親しまれてきました。
赤松宗旦の『下総旧事考』によると、「相馬氏の創建、文安2年(1445)僧安成の開く所なり。京都の東寺に属す。寺領20石」とあり、もとは国王神社の隣に寺域を構えていましたが、享保年間(1716~36)に飯塚氏に神職を譲って、住職は自ら寺域を現在地に移しました。
山門は四脚門の形式で、室町時代の建築様式を遺した茅葺切妻造り、近郊に比類のない造形美を示し、大旦那であった相馬氏の将門に寄せる思いに誇りが感じられます。
山門を抜けて石造太鼓橋を渡ると、その先に寝殿造りを模した朱塗りの薬師堂があります。この堂内の厨子殿に奉安する薬師如来像は、将門の守り本尊と称する持護仏で、将門の死後に祀られたものと伝えられています。また、縁起書によると行基の作とあり、高野山の霊木で刻まれた尊像と記され、4月8日の縁日には、広大な境内が参詣人で身動きできないほどの賑わいであったようです。
将門の子孫であった相馬氏が、将門ゆかりの寺院や神社の大旦那として尽力したことは、火災を免れた山門の威容、水車の軒丸瓦に九曜紋が用いられていることからもうかがえます。
延命寺(岩井1111)